東京の五大粗大ゴミ

東京国際フォーラム(設計;ラファエル・ヴィニオリ)が完成したとき,磯崎新さんが「読売新聞」に,東京には5つの文化施設という粗大ゴミができたと書いた.完成した順番に書くと,東京芸術劇場(設計:芦原義信),東京都新庁舎(設計:丹下健三),江戸東京博物館(設計;菊竹清訓),東京都現代美術館(設計:柳澤孝彦),東京国際フォーラムの5つ.それに続いて,「GA JAPAN」22号の「現代建築を考える○と× 東京国際フォーラム」という鼎談でも,藤森照信さん,二川幸夫さんとともに,その話題について語っている.
そんな話に至る伏線となったであろうことがいくつかある.もちろん大きな背景として,バブル期に完成したこれらの建物が,建築家のデザイン以前に,プログラム上の過剰な要求に問題を持っていたことが挙げられると思う.更にその鼎談では,建築家のデザイン自体の話や,都市や国家の話にも繋がっていくのだが,その他にもう少し磯崎さん自身の個人的な伏線があった.
まずは東京国際フォーラムだが,この設計は公開国際コンペによって設計者が決定された.元々この敷地には,丹下健三さんの名作の1つである『旧東京都庁舎』(1957)が存在していた.設計当時,東京大学大学院に在籍していた磯崎さんは,ディテールを描きに現場の手伝いに行っていたという.その旧都庁舎を取り壊すコンペの要項に対し,それを残したカウンター案を提案することを考えていたほど,磯崎さんはそのデザインを高く評価していた.
その旧都庁舎が取り壊されることになったのは,もちろん新宿に都庁舎が移転することになったためである.その新都庁舎も指名コンペによって設計者が決定された.その勝者が丹下さんであったことから,結局,丹下さん自身が旧都庁舎を壊すことを認めることによって,新都庁舎を作ることができたという格好になってしまっている.そして,そのコンペの指名者の中に磯崎さんもまた含まれていた.そのコンペ案は磯崎さんの最高傑作と言ってもおかしくない作品であったのだが,超高層建築を要求した要項に対し,中層建築を提案したこの案は,所詮カウンター案にしかなりようがなかった.
現代美術館も指名のプロポーザルコンペであったのだが,そこでもまた磯崎さんは指名者の1人に選ばれていた.結果は,柳澤さんが新国立劇場に引き続きコンペを勝ち取ることになったのだが,コンペが行われた1990年には,磯崎さんは『水戸芸術館』を完成させるなど現代美術館の設計者として最適任者であったと思われ,その選に漏れたことは非常に残念であった.運営上の問題を別にすると,少なくとも美術館建築としては,現在のものよりも遙かにすばらしいものができていたのではないかと思う.
もちろん,理由は複雑であるのだろうけれども,これらが五大粗大ゴミと呼ばれた評価は,現在でも大きく覆すことができていないのではないだろうか? 少なくとも,これらの磯崎案の1つでも完成していれば,もしかすると粗大ゴミを減らすことができていたのかもしれない.

m-louisさんへのCommentの返事のつもりだったのだが,ちょっと拡張させて状況説明を書いてみた.ちなみに,「GA JAPAN」を読み返してみると,現代美術館とフォーラムの場所の入れ替えを提案しているのは藤森さん.本当にこれは名案.このこともまた,デザイン以前のプログラムの問題.
「GA JAPAN」の鼎談は,『日本の現代建築を考える○と×?』に収録されているので,現在でも読むことができるはず.これは必読.(追記:『磯崎新の発想法』にも,「なぜ旧都庁舎を残さなかったのか」というタイトルで掲載されている.)
磯崎さんの『東京都新都庁舎案』は,『UNBUILT』に詳しく紹介されているはず.本当は『東京都新都庁舎・指名設計競技 応募案作品集』に提案書の全てが掲載されているのだが,残念ながら絶版(研究室にはあります).
磯崎さんの『東京都現代美術館プロポーザル案』は未発表.

建築 | Posted by satohshinya at September 25, 2004 0:59


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