田所辰之助レクチャー

2012年1月12日(木)、第6回ゼミナールとして、建築史家の田所辰之助によるレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

吉田悠真
 久しぶりに田所先生のお話を聞くことができて凄く興味深く聞かせてもらいました。最初のスライドに出てきた「建築家の夢」というタイトルで示された図は今まで偉大なる建築家が設計してきたものばかりで、しかもそれがちょっと近未来的な構図になっていたのがなんとも不思議なものでした。「ユメ」ってそもそもなんだろう?と考えたときに、建築だけに非常に大きな「ユメ」を想像してしまいます。
 建築の「そと」という考え方、万博で示されたガラスと鉄の建築「クリスタルパレス」は今まで石で作っていたのとは大きく異なり、世の中に建築材料革命を起こしたキッカケになったのだと思います。そしてそれは建築家が作ったものではなく、エンジニアが作ったということには驚きました。エンジニアから建築家へのシフトという時代の流れも非常に関心を持てるものでした。
 分離派への流れ、建築プログラムの書きなおしという考え方そのものは今の建築に通ずることだとおもいます。又、ファンズワース邸のテラスの良さをどう表現するかという話は自分も凄く共感できるところです。そもそも自分があのプランを見たときに何が良いのか全くわかりませんでした。ライトの「落水荘」の良さは万人受けするものだと一目でわかるのです。しかし、前者の方は「なにがよいのだろう?」と疑問しか生まれませんでしたが、話を聞いて実際現地に足を運んでみなければ分からない奥深さがあるのだと思います。「詩的空間」とは、3人の先生の話題にも上がったH先生の考え方ですが、時代に吸収されないアートのような建築とはまさにこれ(プランを見てもわからない建築)だと思います。人々が見てそれぞれの印象の受け方、感じ方に違いが生まれてどうとでもとれるようなそんな建築です。実際のアート、例をあげてみれば有名なピカソの絵もみていて何を表現したいのか全くわからないし、それどころか「子供が書いたような落書き」にしか見えない(失礼ですが)こともしばしば……。しかし、どこがいいかと言えば説明できない、人々に何か訴えかけるような生意気さがあります。
 ファンズワース邸のデッキにはそんな何もないただの外部ですが、そこになんらかの空間があることにおける、気持ちのゆとりや開放感を作りたかったのだと改めて感心しました。世の中の建築には、効率性ばかり求めるあまり大切なものを失っているような気がします。それは万人受けする意図的空間ではなく、そこにあるだけで「なんかいい」「なにもないこの空間があるからいい」そんな抽象的な空間を演出するのが非常に難しい世の中になっている。それは、建築をやっている以上クライアントに説明する説明責任が問われるからだ。ものができてから、これでどうですか?とは言えない。模型や図面で説明することはできるが、やはり実際のスケールでみるのとは大きく異なり違うものだ。
 その点、アートは自分のやりたいように自由に表現し見る人が自由に受け取る。というメリットがある。先生が取り組んでいる「としまアートステーション」はそんなアートのメリットと建築の良さを複合的に考えた新しい考え方かもしれない。しかし、3人の先生方がラストに話題にしていた建築には、「コンセプトが必要」だということに関してはすくなからず共感でき、「コンセプトがないのがコンセプト」「コンセプトをいかに不在にできるか」ということをテーマにした発想は今後いかにクライアントにそれを分かってもらえるかが焦点となる気がする。そして、3人の先生方の最後の討論?は短大時代を思い出し、非常に懐かしい感じがして、楽しく聞かせてもらうとともに、建築を本当に考えるよい機会となりました。

鶴﨑敬志
 今回のゼミナールは田所先生を迎えての講義ということで、私個人としては短大時代に所属していた研究室が田所研究室ということもあって、懐かしいと共に久しぶりの講義に楽しみにしていました。
 講義の内容で印象に残ったものとして、M. ボンディの「人間は空間に滲み込む、空間を考えることによって建築は、生まれる」という言葉で、そもそも空間とは何か、建築にとって空間はどれだけ重要になっていくのだろうと考えさせられた。先生の意見として、空間から建築を考えるのは良くなくて、空間から進めていくと範囲を狭めてどことなく、こじんまりとしてしまうらしい。しかし、設計の課題でエスキースをやっていると、コンセプトを決め、そして空間を考えながら進めていく。そこの矛盾がとても難しく、空間というものの定義付けを自分の中で作っていくことは、課題の一つであり問い続けなければならないと感じた。
 次に空間の定義から、問いという言葉に代わるが、今回の議題の中に「問いは外にあるもの」は確かにある。しかしわれわれの拠点は「建築」であるという題目が出てきた。建築は遅いメディアで創造主体はどこにあるかということで、建築は情報に遅れをとっているというのに思うところは、クリスタルパレスは1851年に建てられた、ガラスの建築であるが、当時は、建築としてみなされていなかったらしく評価を得られなかった。しかし、50年以上たった、20世紀初頭になって、初めて建築として評価されるようになり、ガラス建築が生まれた。この50年以上もの間全く見向きもされなかったガラス建築が革新的な近代建築となるのだが、かなりの時間を要した。そのことからわかるように、これまでの様式を大事にしていたことから、ある意味、型にはまった建築しか建てることができず、もしくは世間が新しいものを受け入れなかった。それが、範囲を狭めてしまっていて、受け入れられるのに50年という長い月日をかけてしまったのだと思う。ただ、新しいことへの順応性というのは、必ずしも良いとは限らないわけだが、建築は、言ってしまえば無限の世界だと思っているので、建築の可能性というものに、傾けていけば遅いメディアといわれなかったのかなと私は感じた。そういった意味では、今回の講義の中に出てきた、建築家の三大巨匠である、L. ミース・ファン・デルローエという人物は新しい事への挑戦の仕方が長けていたのかなと思う。1934年にやった、展覧会を催したときに、岩塩を使った壁と炭鉱を使った壁、その二つの壁が展示された。そしてファンズワース邸は、トラバーチンを使い、テラスを作った。その二つの事柄はいずれも物質感を出したいという、ミースの考えから始まっている。そこから、出てくるものは今までの格式ばった建築様式から、自由度の高い建築を設計するようになったと思っている。
 建築に対する人への影響を大きくしたミースも、最初からできたわけではなく、問いかけや建築に対する意識を自分の中で高めていたと勝手に想像するわけだが、それが欠けていたら巨匠と呼ばれることは、少なからず無かったと思うので、三人の先生が講義で話していた中で、個人的にキーワードであった「空間の定義」、「意識」、「問い」というのは、これからも考えていかなければならないなと思い、一層の関心が高まったと同時に楽しい講義だったと思う。

これからの建築と建築家
沖田直也
 建築は19世紀までは「様式」が重要な要素であり、建築家は様々な「様式」を操れることがステータスであった。しかし、1851年のロンドン万博におけるクリスタルパレスで、鉄骨を用いた構造を持つ建物が出現した。この建物は建築家ではなくエンジニアがつくったもので、「様式」をステータスとする当時の建築家たちには様式のかけらのないクリスタルパレスが建築として理解できなかった。それから20世紀初頭になって建築家たちがS造・RC造を用いた大空間の建物を建築として理解し、「空間」を建築に取り入れ始め、それ以前の建築にも事後的に「空間」が見出された。これ以降建築の要素は「様式」から「空間」に変わることになる。そして、コルビジュエのドミノシステムのように、一つ一つの箱に機能を与え、それを組み合わせて建築をつくるという「機能主義」が発達していった。
 しかし、建築というものは他のメディアと比べて変化の速度が遅いものであり(クリスタルパレスが登場してから「空間」を建築として捉えるに至るのに50年くらい)、インターネットが発達し、一刻ごとに変容していく現代社会においていつまでも「空間」にこだわらず建築の新たなる要素が出てくるべきではないかという。そこで、「空間」に変わる新たなる要素を見つけ、「空間」から抜け出すには「建築に何が可能か」という問いを立てなければならない。その「建築に何が可能か」と言う前に「人間になにか可能か」ということを問われるべきではないか。
 現在は、建築の要素が「様式」から「空間」に変わっていったように、「空間」から新たな何かに変わっていく時期なのかもしれない。その新たな何かがどんなものかは「建築」の外に出なければならない。しかし、我々は「建築」というものにとらわれている。境界づけることによって「空間」ができてそれを所有することによって建築、ひいては生活が成立するのであるからである。新たな何かを見つけるにはいっその事「建築でない何か」を考え、提案していくことがいいのかもしれない。そのヒントはおそらく東日本大震災の津波に流された瓦礫の山にあるとおもう。今回のレクチャーでは「建築」の定義を考えさせられるいい機会になった。
これからは「建築」と「建築でない何か」、さらに「アート」と「現代社会の情勢」を観察し、「空間」に変わる新たな建築をつくり出し、いつかは「建築ってなんだっけ?」の疑問を解決したいと思う。

齋藤真理
 田所先生のレクチャーでは様々な建築についての興味深い話を聞くことができ、また先生達それぞれ色んな意見や考え方があり、普段では聞くことのできない話もあり楽しく勉強させていただきました。
 レクチャーの初めに「建築家の夢」という絵画が写されました。その絵画には有名な建築物が混在して一度に描かれている、なんとも言えない画となっていました。それは建築家にとっての夢とは?ということを考えさせられるように感じました。
 次に建築の「そと」という考えについてです。その例としてあげられたのは万国博覧会で造られたクリスタルパレス(水晶宮)で、当時としては鉄骨構造の建築に鉄とガラスを組合せたプレハブ工法がとても画期的だった建物です。そしてこの建物は建築とは関わりのなかった人が創り上げたことに驚きを覚えました。クリスタルパレスは温室の技術を展開し建築となりました。そうした技術による展開が建築となり新たなものを生み出すということに非常に関心を持ちました。私たちにも普段関係性のないと感じるものでも、そこから新たな発想を得て展開させる考え方を常に持っていれば、まだまだ未知数の可能性はあるのではと感じました。
 次にミース・ファン・デル・ローエのファンズワース邸についてです。ファンズワース邸は以前から知っていましたが、住居の少し下がった所にあるテラスはトラバーチンの床がただ広くある空間で、何のためにあるのだろう?どうしてこんなに広くあるのだろう?と思っていました。田所先生の実際に行ってみないとこの空間の良さが分からないとおっしゃっていた言葉に、確かに実際に行って見なければ物質感や匂い・空間を感じることは出来ず、行ってみて初めてその空間の良さが分かり、「そと」のような「なか」のような曖昧なこの空間の存在理由があるのだろうと考えさせられました。ファンズワース邸のテラスのように空間を贅沢に使ったものは、最近では見受けられないように思います。この空間の贅沢さが建物としての贅沢さにも繋がるように感じました。
 そしてこのファンズワース邸は建築とアートという関係性を持っているようにも思いました。建築はコンセプトをもって造られ建築を通して見る側へと発信されると考えます。アートは見る側が多様な解釈をし、何かを感じとり自分の中に収めるという流れがあるように考えます。建築は造る側と見る側の考えを共有しますが、アートは創る側と見る側の考えが人それぞれ違うのです。このファンズワース邸ではテラスの部分が言わばアートと呼べるのではないだろうか?と話を聴いていてふと思いました。(先生達にとっては何を言うてるんだと思うかもしれませんが……)建築とアートについて先生達の熱い討論でも出ていたコンセプトというキーワードでは、コンセプトのあり方を深く考えされられたように思いました。コンセプトとは、「どういう意味を持つのかの説明では?」「コンセプトを持たないことがコンセプト」「コンセプトは他者へのコミュニケーション方法では?」など色んな見解が出ており、建築について深く考えるきっかけとなりました。

穂積利宏
 今回は田所先生のレクチャーであった。
 様式の組み合わせから空間づくり、そして、こと(人の行為、状況など)づくりへと建築が移行している中で、田所先生の話はその様子がとてもわかりやすく説明されていてとても興味深かった。
 19Cコールが描いた「建築家の夢」にはその当時のあるべき建築家の様子が端的に表現されていた。当時の建築家は、それまでの色んな様式をどれだけ知っていて、それを操れるかが評価につながっていた。そして、古い形をまねながら、その中に新しい形を見つけてきた。機能主義の中、1851年ロンドン万博のパビリオンとして誕生した「クリスタルパレス」。円筒法による板ガラスの大量生産が可能にした大空間建築物の代表で、全長約563メートル、幅約124メートル、高さ約22メートルの大空間は、細い鋳鉄の骨組みに、約30万枚という大量の板ガラスをはめこんで建てられた。設計者は、造園技師出身のジョセフ・パクストン。「鉄とガラス」を素材にしたプレ・ファブリケーション[プレハブ]工法によって、約4ヶ月という、非常に短い期間でこの大空間を完成させた。このクリスタルパレスが一つの起点となり、建築界に「様式だけじゃないかもしれない」という考えを広めさせた。その一石が「芸術家の家」で、ボックスの組み合わせによって構成され、時期は異なるものの、コルビジュエのドミノと組み合わさることで新たな建築の可能性を開いた。しかし、建築の外部以外を建築家が設計するようになったのはこの50年後であった。
 さらにミース・ファン・デル・ローエが、建築の操作を転換させた。ミースは、ドイツのアーヘンに、墓石や暖炉を主に扱う石工の父親をもち、大学で正式な建築教育を受けることなく、地元の職業訓練学校で製図工の教育を受けた後、リスクドルフの建築調査部で漆喰装飾のデザイナーとして勤務した。このような背景も手伝って、1927年の女性モード展ではシルク、ベルベットを垂らして空間を仕切ったり、1934年のドイツ民族ドイツ労働展では岩塩、石炭の壁をつくり、そこに周りとの大きなギャップを作ったりした。このように異質なものや小さな変化が次の時代への架け橋になることが、田所先生の話でよく分かった。
 このように建築の在り様が刻々と変化する中、次のような問いかけが行われた。
 建築に何が可能か。
 バリケードの中で、「建築に何が可能かと問う前に「人には何が可能かという問いがなされるべきである。」に対して、山中先生の師である原広司さんはM. ポンティの発言「人間は空間に滲みこむ」を引用して答えた。まさに前述の「ことづくり」そのものである。さらに原さんは建築の可能性について
① 共有性
② 反復性
③ 投企性
④ 場所性
を挙げた。
 創造主体をどこにおくか。建築の「外部」はどこにあるか。「見えないところで、ある状況を成立させる」ということも建築家の仕事である。これらはとても基本的で、誰もがなんとなくは考えていることである。しかし、改めて意識して考え、それを継続していった先には時代を切り開く新たな建築の姿があるような気がした。
 最後に、今回のレクチャーのエピローグで拝聴できた、佐藤慎也先生の建築に対する考えは非常にありがたかった。私は、設計のプレゼンの際に使われるコンセプトやダイヤグラムの嘘くさい言葉の羅列に嫌気がさしている。私は曲線が好きだ。直線でやっていれば突っ込まれないところを、曲線にした瞬間に突っ込まれる。確かに現実には、曲線にすることでコストが何倍にもなったり、施工がむずかしくなったりといった理由で敬遠されがちだ。さらには建築には施主がおり、アートのように見る人の解釈に委ねるということができない。合理主義からくる、コトバへのカテコライズの稚拙さに対して言わないという対抗手段しか持っていませんでした。しかし、先輩方の2LDKに23人住ませる、建築をつくらない、というような試みで「ケンチク」に対して向かっていった例を聞いて、とても刺激を得た。

山本真子
 今回の講義は、建築史家の田所先生を招いてのレクチャーだった。主な建築史の流れと共に、建築の可能性について語る。
 はじめに様式折衷主義の頃のトーマス・コールの「建築家の夢」についてだった。過去の偉大な建築物を集めると、結果的には様々な様式が入り混じった混沌としたものになるのだが、それを「夢」と言えることの可笑しさを感じた。
 その後産業革命後のロンドンでのクリスタルパレスなどのガラス建築の話に移る。この時代になると建物の「空間」の意味合いが変わってくる。今までの重い石造りの内部空間から、ガラスと鉄骨の軽い開放的な空間に変わる。作者も建築家から技術者へ変わった。しかしこれらは先端技術を使用した革新的な出来事であったが、これが様式だと認められるまで50年も時間を要した。このことから「建築」というものの遅さ、いや「建築家」の遅さを感じた。建築家が様式主義に洗脳されている間に、技術は、時代は、人は進んでいたのだ。
 そして時代は構成主義建築、機能性と合理性を備えた建築であふれるようになっていく。そこで田所先生は疑問を投げかける。構成だけではこの先泥沼で、バリエーションが増えるだけである。「空間をつくる」という考えを改めるべきだと。確かに現代の建築は空間構成でなりたっており、似たようなものばかりである。そして空間構成が得意な人々が建築を担うようになった。
 ここまでの流れを踏まえると、建築の創造主体が建築家→技術者→構成者と変わってきている。このまま構成をするだけで建築をしている気になっているのであれば、本当に未来は暗い。先端技術を使い新たな構成の仕方はこれからも永遠に生み出されるであろうが、それでは建築家の定義も曖昧になってくる。
 現代はインターネットの普及により新しい技術も情報も、人の気持ちも感動もすぐに共有される。飛行機によって世界のどこにでも短時間で行けるようになった。つまり、昔のロンドンでの第一回万博のようなことはおそらく一生起こらないのである。つまり現代の人々はもう建築家の提唱する「空間」には興味を示していないのだと思う。その流れは3.11以降さらに加速していると感じている。津波で建物が流され壊れ、瓦礫が残る平野になった場所もある。しかし、青空の下で土を踏みながらそこにある「空間」は感じることができる。空間とは建築によって定義されるものではなくて、そこで行われる人間の行動によって定義されるのだと考える。
 こういったことから人間の活動の「場」をつくるという佐藤先生の試みは、新しい建築家?の形だと思っている。3.11を境に、あって当たり前のものが失われた後に残るのは人間の関係性だと、日本国民全員が思った今だからこそ、もう少し建築家の可能性は「人間」に任せても面白いのではないかと思っている。こんなことを言っては本末転倒なのですが。
 最後に、今回の講義は大変興味深かった。空間とはなにかを考えるきっかけにもなったし、山中先生やmosakiのお二人を交えた討論は大変面白かった。ありがとうございました。

阿津地翔
 今回のゼミナールはゲストとして日本大学の先生である田所先生が講師として招かれてその講義を聞きました。
 最初は慎也先生がこれまでに研究室等で実際にした活動のスライドを見ました。湯島もみじの施工現場では学生時代のmosakiのお二人や少し前の慎也先生や岡田先生の写真を見られて面白かったです。現場の楽しい雰囲気が伝わって来ました。今までにも出てきた茨城県取手市での「+1人/日」、劇場外演劇、住み開きなど佐藤慎也研では他の研究室ではしないようなことを沢山していて毎回とても楽しそうだなと感じます。
 田所先生の講義では初めにに19世紀の中盤にトーマス・コールが描いた「建築家の夢」という絵がスライドに出てきました。手前には尖った屋根で窓から光が漏れているシルエットのゴシック様式の建築、奥には何本もの柱が綺麗に並んでいるローマの宮殿、さらに奥には大きなエジプトのピラミッド、それらを建築家が横になって眺めている風景が描かれていました。夢の中で建築家が見ているこれらの石でできた建築とは逆に鉄とガラスでできた建築が次のスライドでは出てきました。1851年の第一回万国博覧会の会場として建てられた建築であるクリスタルパレス(水晶宮)です。こういった建築が無かった当時、いきなり、建っているガラスの壁の建築を見た人々がどう思ったのかとても気になりました。しかしクリスタルパレスのような建築は万博から50年以上経った20世紀初頭になってやっと建てられるようになったという話を聞く限りでは当時の人々にはあまり受け入れられなかった様に感じました。先生は建築は遅いメディアと言っていましたがそれも分かったような気がします。そして1920年代に入ると建築に機能を求める機能主義の建築が建てられるようになりました。田所先生の言ったコルビジュエの考えたドミノシステムに壁を被せたものという例えはとても分かり易かったです。そこから建築の空間の話をされました。最後に、建築は遅いメディアである・「創造主体」をどこに?・建築の「外部」はどこに?と、問いかけのようなまとめで終わりました。田所先生の話の後半は自分には難しくてメモを取るのがやっとという話ばかりでした。今までのゼミナールの講義の中でも特に難しく感じました。
 配布されたプリントの内容も興味深いものでした。美術館の事業報告書に建築が美術としてカテゴライズされているのを見て、いつから建築は近代美術になってしまったのか?という投げかけがされていました。建築が美術館に展示されて様々な人に建築をもっと知って貰うのは良いことだと思いますが、プリントに書いてあるように美術館で見せるための建築を作るのはまた話が違うと思います。人の目を奪い、好奇心を湧かせる様な外観も大事だとは思いますがそれだけだと「美術館で見てもらう美術品のような何か」になってしまうと思いました。これから美術館に建築というちゃんとしたカテゴリーができることを強く願います。

建築家は「空間」をつくるもの?
内野孝太
 「建築は、以前は様式によってつくられており、近代以降に空間という考え方が生まれた。そして、様式によってつくられていた建築にも、事後的に空間が見出された。そうだとすると、様式という言葉が捨てられたように、空間という言葉を捨てることで、新しい建築をつくることができるのではないか。」
 このような議題のもとに田所先生によるレクチャーが行われた。「空間」とは何かを改めて考える機会になり、大変感謝致します。
 建築は「様式」→「空間」に移行され、「空間」→「?」とは何か。そこで現れる空間というものは、恣意性をなくし、作り手の所有物とは異なり、使う人によって規定され得るものであると。作り手の作家性というのは空間として現れず、そこには多様である使い手により、空間が構成されるという行為が行われる。建築はハードの側面よりソフトの側面が強くなり、その先にある「コト」づくりに重点が置かれる。その時、決め方に意図的なものを排除し、そのことが設計趣旨をなくし、そして、空間より先にある「コト」が生まれるのではないかと感じた。
 空間というのは建築において人々に使われることによって成り立つ。実際、使う側の人に、はいどうぞって場を提供しても、簡単にコミュニケーションが生まれるとは思わないし、空間がどうのこうのって言うより、挨拶とか凄く基本的なことで形成されている気がする。そこで、空間に何らかの仕掛けを用意するとなると、自分が意識的に設計をしないことができなくなってしまうのでないか、その空間にどれ程「自分」が出てくる・出てこないのか。また、どの部分に制限をかけることで、その空間を成り立たせているのか。上記の点が気になるところではあります。
 「様式」は建築家ではなくエンジニアの手によって「空間」に移行をしていった。「空間」は誰の手(それは作り手ではなく使い手かもしれませんが)によってアップデートされていくのか。これから私たちが考えていかなければならない問題というのを、提示されたレクチャーだったと思う。
 最後に、慎也先生が「周りへの影響、波紋のことを目的とし得ない」というようなことを仰っていたが、とても意外であった。現状、活動が波紋のように広がっていくことは少なからず存在すると思う(ソーシャルメディアなりで)。しかし、空間をつくる際と同じで、その広がり方に恣意性をなくし、考え得ない外の領域に派生することを期待しているのではないかと。このレクチャーと共に慎也先生が何処に向かおうとしているのか気になった次第であります。

渕上久美子
第6回ゼミナールでは1年生の時授業でお世話になった田所先生がレクチャーを行ってくださいました。また、山中先生も参加してくださり、レクチャーのあとに座談会といいますか、空間についてや、設計主旨について3人でお話されていました。
まず田所先生のレクチャーでゴシックやロマネスクなど様式の名前がでてきて、1年の時にレポートを書いたことを思い出しました。最初のスライドの建築家の夢ではさまざま様式が集まり、1つの絵に収まっている。改めて、世界各地で様々な様式が育てられていたのだと感じました。様式を選んで作ることができるのがステータスであった時代もあったという話を聞いて、昔の建築家と、現在の建築家は考え方や求められるものが違うようになったのだなあと思いました。
建築史の講義でこの時代は何様式である、など勉強しましたが、現在、様式は全くなくなったのでしょうか。今回のテーマが“様式という考え方が、空間という考え方に変わった。そして様式によってつくられた建築にも事後的に空間が見出された。”とありましたが、何十年後にはこの時代の建築は何であったと講義されるのでしょうか、気になります。でも現在は情報がありすぎて、いろんな種類のものがあふれかえっており、同じものを繰り返し深めていくことが少なくなったように感じるので、ひとまとめに名前を付けるのは難しそうです。むしろ、テーマがさだまらないことがテーマになるのでしょうか。
今回のレクチャーでいただいたプリントの中に建築展について問うものがありました。
建築はアートなのか?というものでしたが、私はアートになりうると思います。美しい建築がたくさんあるからです。また、手の込んだ模型は美術作品だし、設計図や、パースなどは小説や漫画のように空想して楽しむこともできるからです。でもそれは付属的なものであって、私は建築とは人が住むための物、利用するための物であるから機能的であることの方が重要だと考えます。またもう1つの、所有するという考えについて書かれたプリントも大変興味深かったです。土地を買って、家を建ててこの空間は自分の物であると、自分たちで法律まで決めて言い合っているが、実際に所有することはできていないのだと思うと、自分のやっていることはいったいなんなのだろうと考えてしまいます。
建築に何十年も関わってこられた先生方が建築とはなにか、と考えても話が平行線をたどるなんて、建築とは奥が深い、なんてむずかしいんだろうと改めて思いました。今回の講義は、空間とは、建築とは、そして建築家とはなにか考えるきっかけになりました。

ゼミナール | Posted by satohshinya at January 15, 2012 7:09


TrackBacks