楽しい建築

ローザンヌEPFL大学習センターコンペ勝ったSANAA
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原広司と大江健三郎の講演会に行けた人が少なかったようですね。社会人には厳しい時間だったが学生はどうだ?。ディスクリートの概念は、新しい社会(建築)を示唆するものになるのか。新建築12月号月評にnks architectsが「(〜)金沢21世紀美術館の建築自体を簡単に真似などできないが、この建物の空間構成のあり方を別の建物に移植することは比較的容易である。適度なバリエーションを持つ個々のパーツがヒエラルキーなく集合し、パーツの隙間に都市空間のような隙間をもつ構成。これは、現代の独立した個人と社会の関係に似ている。(〜)長谷川祐子さんは双方向、参加型、共同型の共創という価値観を示しているが、これは現代のリベラルな民主主義理念にも繋がる。(〜)」というような事を書いている。共振作用がどういう回路で増幅するか。興味深い時機に突入したに違いない。と僕の感性は頷いている。難解な概念をひっさげ、制度的な立場で社会を支配しているというスタンスが建築家なんだーとか。思っていた時期、せじまさんのボキャブラリーには、感心させられることがあった。とにかくわかりやすい。建築の内部に入っていない学生には、むちゃくちゃわかる。それは、市民レベルで共感できることを指す。新建築の1月号において、伊東豊雄が、近代建築のボキャブラリーを洗練させることが目的の建築を作っているだけだと、現在の建築の立場を一蹴している。氏はそこで、楽しい建築を作りたいと言っている。ふむふむ。機能的なものが美しいのは正しいし。社会(ここでは、自治体という制度)を批判することも正しい。建築をつくる目的が間違っていたと。僕はコンペティションをめぐる憂鬱で議論した中に潜む、淀んでいて掴みきれない建築をつくる目的が、楽しい建築につながってくるような気がしている。(あのときの議論は、建築に立ち向かう戦略の中でコンペをどう利用するかという事が内的な中心だった。議論を明確にするためにコンペ的な思考に立ち向かうという、表層を持っていた。) 
建築はわからないけど、すばらしいと思える建築が実際にある。この矛盾を打ち崩し、自分を切り開くために、建築が好きだ。(好きだと思いこませるくらいじゃないと建築はやめた方がいいと思っている。)という前提を抱え込み、私的なきっかけから生まれる具体的なアイデアがあって、前衛的な構造が見え隠れしていないか、既存が持つ上位下位を壊せやしないかという視座を持つスタンスが、自分に素直になる自分にうそをつかない境地の中で、どういう規模で自分が自分以外にコミットできるか。そんなことを思わせてくれる写真だ(笑)

建築 | at December 17, 2004 6:31


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Comments

はじめまして、おもしろおかしく拝見いたしております。

Posted by stylecafe at December 20, 2004 1:55 AM

(こちらが悪いのですが)エキサイトブログはトラックバックすると文字化けするので、コメントで、仕掛けるタイミングを謀っていたところです(笑)。たくさんのページを見てますね。よく見かけます。

Posted by simon at December 20, 2004 2:10 AM

おそらく英語版でつくられたものは日本語で文字化けするらしいです。私はもうひとつのサイトを英語版で作られた元で日本語版対応のサイトを作りましたが、これまた文字化け。おそらくサーバー側が日本語に対応していないのかもしれませんね。

Posted by stylecafe at December 20, 2004 2:00 PM

どこまでいくのだろうか、この人たちは?

Posted by satohshinya at September 27, 2005 11:06 PM

Posted by simon at September 30, 2005 8:06 PM

Posted by simon at October 6, 2005 3:33 AM