展覧会 Border Lines
菅原のpartnerの一人である Nathanael Dorentが率いるSpace for Human Rightsが
展覧会「Border Lines」を開催しています。
会場: nous gallery / 5 Blenheim Crescent, London W11 2EE
会期: 11th November – 17th November 2008
「Border Lines」は、アート、ダンス、演劇、建築、都市など様々なカテゴリーを超越した展示内容となっています。 Space for Human Rightsは人権に対する問題定義ではなく、様々な専門家よる具体的な解決策を提示していく団体です。 社会問題とデザインをつなぐ試みでもあります。
菅原は日本展のキュレーターを務めます。
Architecture Space / 建築, Art / 美術, Event Lecture / イベント, My Partners, News / 新着情報, Urbanism_City / 都市 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 11 4, 2008 10:20 | TrackBack (0)
巴里イベント情報
菅原が在籍していたSBAEが会場構成を行っている
[JAPAN CAR-creations pour un monde sature]
が開催されています。
会場はParc de la vilette近くの Espace Condorcet Cite des Sciences et de L'industrie
Event Lecture / イベント, News / 新着情報, Paris / パリ, Urbanism_City / 都市 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 11 4, 2008 10:12 | TrackBack (0)
事務所の移転
先週末、池尻から恵比寿に事務所の移転を行いました。
確認申請書類作成業務と引っ越しが重なったのでバタバタとしていましたが、
研修生の早稲田大学・野海さん、SBAEで研修をしていた和歌山大学の坂口さん、上田くんの
助けでなんとか終わらすことができました。
この場をかりてお礼を。
場所は恵比寿、代官山、渋谷の中間で、
歩いているとキャラクターもスケールもドンドン変化していく本当に面白い地域です。
事務所のすぐ近くは雑貨屋や服屋が点在し、安いバーもある。
SBAEがあった巴里のMalaisに「ラフさ」が似ていて、少し懐かしい。
何はともあれ心機一転、しっかりと仕事ができるよう努力してまいりますので
今後とも、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
2-3-13-601, Ebisu-Nishi, Shibuya-ku, Tokyo,
JAPAN, 150-0021
T: +81.(0)3-6277-5627
E: suga-net@triton.ocn.ne.jp
H: http://www12.ocn.ne.jp/~suga-net/
B: http://tkmy.net/blog/personal/sugawara/
Dialy / 日常, Event Lecture / イベント, News / 新着情報, Urbanism_City / 都市 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 10 15, 2008 10:53 | TrackBack (0)
仏蘭西料理界の巨匠Alain Ducas
仏蘭西料理界の巨匠Alain Ducasがプロデュースする
「Le Comptoir de Benoit」があり、オープニングパーティーに出席するために大阪へ。
彼と10分間話す機会を与えていただいた。
緊張しながらも、久しぶりの仏蘭西語を駆使して彼の巴里のレストランや建築のことについて話す。
思いのほか自分の頭に仏蘭西語が残っていて驚く。
場所は大阪駅近くにオープンしたサンケイビルによる複合ビルBreeze Breezeの最上階。
ビルの設計はChristoph Ingenhoven 氏。
ガラスの使用を環境的な側面からとらえようとする建築家らしい。
透明感が変化するガラスの白いファサードが印象的。 ガラスと白の色使いが少しsannaっぽい。
自分も「ガラス使用と環境的配慮の融合」を狙っているいるが、
アウトプットがここまで自分と違うかと興味深く拝見する。
Alain Ducas氏の世界25店舗目、「Le Comptoir de Benoit」の料理と内装の印象はまたどこかで。
そのあと、駅前の富国生命ビル新築工事現場をみる。
このビルは仏蘭西人建築家dominique perraut氏の事務所に勤務する前田茂樹さんが担当している物件。 前田さんからは以前からCGを見せてもらっていたが、実際の敷地を訪れ実際の建ち方を想像してみる。
「Le Comptoir de Benoit」と富国生命ビル。
大阪駅前での仏蘭西人の動きは活発です。
Architecture Space / 建築, Event Lecture / イベント, Urbanism_City / 都市 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 10 9, 2008 10:48 | TrackBack (0)
植物の生息圏
金木犀の香りが町を包み込む季節になった。
僕が好きな匂いのひとつだけど、ひさしぶにこの香りがする町にすむ。
パリではこの匂いで秋を感じることはなかった。
植物の生息圏を臭覚で感じた瞬間だった。
Dialy / 日常, Urbanism_City / 都市 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 10 9, 2008 10:39 | TrackBack (0)
空の大きさ
出張の車窓から、久しぶりに広い空をみました。
東京は特別な場所に行かない限り、背の高い建物がところ狭しと建てこんでいる。
道もくねくねと曲がっているので、大きな空を望める場所がない。
東京と巴里の空の大きさ差を再認識した時。
Urbanism_City / 都市 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 4 23, 2008 14:02 | TrackBack (0)
コーンから世界遺産まで
街を歩いていたら「擬木」ならぬ「擬石」を見つけた。
浅草寺の参拝者用通路へ車の乗り入れを防ぐ「車両進入禁止」のコーンである。 景観上、工事用コーンでは困るからなのだろう、結果として石「みたいな」コーンが選ばれたのだろう。 もしくは「石みたいだから車が恐れて直進していない」とでも思ったのだろうか?もし景観に対する配慮があるのであれば、木で組んだ標識に墨で書かれた気迫の文字「車両進入禁止」があったほうがよっぽど良かった気がする。外国人に人気がある観光スポットですら、ディズニーランド的景観感覚しか持ち合わせていない。 浅草寺の本堂や塔自体がコンクリート造作られていることを考慮すると、伝統的建造物もしくは景色に関するこのような景観感覚もいやもえないか。
このように、伝統的建造物に対する景観感覚を憂いていると、資本主義者ぶった人が経済の話を振りかざして対抗してくるだろう。 しかし、今直ぐしか有効でない短期的な利益を追うよりも、観光資源としての価値や快適性をなど長期的かつ多面的視野で試算されることを願うばかりである。
話を分かりやすくするために、コーンから世界遺産へ話題を拡大してみる。
世界遺産・平等院鳳凰堂の背景には高層マンションが建っている。 「浄土の世界に現世写り込む」といっても決して詩的には聞こえない。 このマンションは、開発業者や建設会社に確実に短期的利益を与えた。しかし観光資源としての長期的な利益を明らかに阻害した。さらには、周辺の土地が持つ付加価値さえも下げるだろう。
一時期は「東京の景色は世界的に類を見ないバラバラさが価値」などといって、盛んにその無秩序さを魅力として鼓舞する意見があった。 しかし、敷地内行われる建築所有者やデベロッパーの建築的暴狂は過度の自由を謳歌し、これによって日本の風景は醜悪化してきた。これに対して制定されたた「景観法」は評価されるべき流れだろう。 しかし、この法律の制定は日本の景観調整の第一歩である。 適切な運用には市民や企業の意識改革が必要だろう。 仏蘭西では、景観に対する責任と強力な権限を国持つ一方で、経済システムや市民の意識など様々なレベルでの景観意識もかなり強い。 「景観は公益である。」と法律の条文で謳っているいるくらいだ。
コーンから世界遺産まで脈々と続く日本人の景観感覚。 「景観法」という改革のきっかけを掴んだ今、この手強い相手に国民全員で向かって行きたい。
願いを込めて、先日見つけた初春の桜を・・・・
Dialy / 日常, Paris / パリ, Urbanism_City / 都市 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 3 24, 2008 0:50 | TrackBack (0)
卵が先か、ニワトリが先か? 建築士が先か?日本社会が先か?
先日、一級建築士事務所を開設した管理建築士もしくは経営者を対象とした
「新規開設建築士事務所講習会」と言うものに行ってきた。
大きな柱は
1.設計事務所(一級建築士)の義務
2.設計事務所の管理と運営
3.設計・監理に関する紛争
講習の内容は、「業務をする時は契約すること」、「設計監理時に建築主に対して説明責任を果たすこと」、「適切な報酬をとること」を建築士法や経済の話と絡めて行われた。
これらは起業する者だけではなく、資本主義社会の中で報酬を貰う労働者にとっても当たり前のことだと思っていた。しかし、話を聞いていると日本の建築界では当たり前ではないのが実情のようだ。特に下記の二点において非常に未成熟な建築士の慣習に、同じ建築士として落胆した。
まずは、今でも「馴れ合い」や「信用」だけで設計業務を始めてしまう建築士が多いと言う点。
僕ら建築士は建築行為に対して責任と義務がある。つまり、大きい額の「建物」を適切に設計・監理しなければならないし、問題が起これば責任を問われる立場にある。 だからこそ、業務遂行において権限と責任を明確化することは重要であるし、それに対する報酬を示した契約書なしに業務をはじめてしまう建築士の気持ちがまったく分からない。 これは値段や内容も知らせずに、相手に商品を売りつけるようなものだ。また、自分の適切な報酬を設定出来ない建築士にいたっては、自分自身だけでなく、僕も含めた全建築士の能力を過小評価する行為で、非常に悲しいと思う。 資本主義の中で自分の技術や思想に値段を付けられない建築士が何千万も何億もする設計に携わる資格があるのかと、その資質を疑ってしまう。 業務終了時に報酬が支払われず、裁判所で争うにいたる事案がかなりあるようだ。
もう一つ気にかかったのがリスクの不足説明。
建築物が一つ建つには、建築主、意匠建築士、構造設計者、設備設計者、各施工者という複数の人々の参加が必要だ。 それは2次元の図面を媒体に全員がこの情報を共有し、3次元の構築物を作っていく。 関わる人々それぞれが把握している情報量も違うし、3次元の完成像を創造できる能力も異なる。そんな状況の中では、色々なものを決定していく際に、異なる解釈が生まれる。特に、専門家ではない施主との相互理解不足は最大の問題だ。 建築に関する訴訟の大半はこれが原因だそうだ。 特に、リスクの説明不足は施主の「こんなはずじゃなかった」という思いを生むが、建築士は「施主の言った通りにしただけ」という理解になるらしい。 決定した設計事項に対するリスクと効果を説明しないと計画内容が施主に伝わらないし、さらには「設計行為」自体をブラックボックス化し、社会から切りはなしてしまうことにもなる。 一般客を取り込むために、銀行もいやいやながら金融商品のリスクを説明している。 建築士も「設計行為」を社会に開くために、その美しき効果だけではなく、リスクも合わせて説明するべきだ。
二点は一般的に当たり前のことだが、日本の建築界では徹底されていない。 このような基礎的内容が既に経営を始めている「新規事務所開設者」に対して行われたことが非常に悲しいし、この悪状況を非常に象徴的に表していると思う。
経済行為の中で建築士は自信喪失し、それが日本人の建築設計に対する報酬の軽視を後押ししている部分もかなりある。 まずは、建設の専門/非専門家に関わらず、質の高い建物や都市が出来る土壌を日本の経済活動の中で作っていく必要があると思う。
フランスから日本に帰る飛行機で、旅行客の団体をよく見かけた。
決まって言う。
「パリは良かったわ。何で日本はこうならないのかしらね。帰りたくないわー。」
一人の建築士は心の中で問う。
「あなたはパリの市民以上に何かを失っても街造りに参加する覚悟はありますか?」
Architecture Space / 建築, Urbanism_City / 都市 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 3 8, 2008 23:16 | TrackBack (0)
L’hopital Copgnac-Jay
伊東豊雄さん設計、L’hopital Copgnac-Jayのオープンハウスに行く。
現場管理を行っていた高塚さんに地下階、一階、基準階をご案内いただいた。
巴里15区の一区画がその敷地。 中庭形式でその区画を囲うのではなく、
周辺に点在する隣地の庭を繋ぐように庭が配置されている。
機能はがん治療、終末医療、自閉症の子供用施設の三つ。
街路に平衡しながら庭を挟むように薄い建物が配置され、
中庭に面して3つのボリュームがそれにへばりつく。
高塚さんが「借景しあう庭」と呼ぶ、敷地内を貫通する庭と
隣地の庭が作る視覚的な「大きな都市の森」は非常に上手く融合されていた。
これが敷地周辺の環境向上にかなり役立っている。
このように隣地の要素を操作対象としてとり込む計画は、
東京のように常に変化するアジアの都市では短期間しか継続しない。
まさに、強く、安定した町並みを持つ巴里/欧州ならではの計画といえるだろう。
8年に一度、隣接する家が建て替わる東京の住宅地で同じことをやっている
日本人建築家は、環境変化による空間の破綻をどう受け止め、どのように責任を取るのであろうか。
内部を歩いた印象は非常に日本的な空間であるということ。
原因は窓の設定高さ。立った姿勢の視点やや上部から膝の少し上までと
非常に低く窓が切ってあって、目線が自然と下方に向き、庭を眺めることになる。
それはつまり、庭=季節を内部空間の構成要素として取り込むことを意味する。
庭は連続的でありながらも様々な性格の庭が用意してあるので、
各病室もそれによって色付きが異なっているのだろうと想像した。
最近考えている「予想できる素晴しい空間」と「予想できない新しい空間」の違いを見た気がする。
現在ある技術、システム、素材を再編集、再構成して作る空間は予想が出来る素晴しい空間を作る可能性を秘める。
しかし、どうなるか分からない、何が起こるかわからないが、
検討し、実験して生み出される予想できない空間というのもある。
僕が求めるのは明らかに「新しい空間」だと再確認した見学会であった。
最後に、高塚さんありがとうございました。
Architecture Space / 建築, Event Lecture / イベント, News / 新着情報, Paris / パリ, Urbanism_City / 都市 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 10 29, 2006 8:01 | Comments (1) | TrackBack (0)