建築学生も期待するweb2.0

まつり(選挙)盛り上がりましたねぇ。地縁血縁の牙城をがんがん崩していく爽快感は、なんなんでしょ。ホリエモンは結果には結びつきませんでしたが、万が一の保険となる組織票や比例重複を潔く切り捨て裸一貫で乗り込んだ姿勢はさすがです。
爽快感のひとつに、いよいよネットが社会と融合していくという期待感がますます高まったからなのかもしれない。ネット世論がどのくらい影響を及ぼしたかは今のところわからないが、選挙戦を戦うには、「握手とネット」を、オルタナティブに活用していく方が、伝わる裾野が広がる実感がえられる機会となった。僕なんて、握手はいらないけど、ネットでしっかり監視したいタチ。演説なんて訝しくて聞いていられない。一度にあんな多くのひとがうなずくなんて宗教的で気持ち悪いと普通は思うと信じている(笑)。
もうひとつの爽快感は、やっぱり上部組織と下部組織の間に何があるのかという興味ゆえ。話を迂回させながら書くと。地縁や血縁のコミュニティとは全く接触機会がなかったこともあり、後進的な人間関係とういイメージを持っている。従って、上部組織に属しているのかというと、やはり違和感を感じる。建築的に言えば路地コミュニティとか、下町的風景とかいうのが下部組織が顕在化した風景。六本木や汐留、品川といった大規模開発。すなわち高層ビルが乱立した近代的とされる風景が上部組織を顕在化させた風景と言えるのではないだろうか。後進的というのは。建築的な興味の範囲で言えば、歴史的な象徴性にすがる手法が繁栄を極めているところにある。住宅で言えば、ハウスメーカが使う、○○風というような、全体の価値観を決める判断基準としてまかり通っていることに言える。それを実現する要素が、出窓や吹き抜け、ウッドデッキなんてものになる。これはお客様思考のマーケティングが成した技なので、それを超え創造する価値を見いだせない経済の強さゆえでもある。レムAMOを立ち上げたのも、共通するところがある。PingMagによると「民間企業のイニシアチブに従って仕事をするのはつらい。自分のやっていることをコントロールしたい。やりたいことを限定しない。」という野望を達成するためと言い切っている。続けて、近代的とされるとうのは、ガラス張りのスカイスクレイパー、無柱空間と言ったユニバーサルスペースや足下に広がるオープンスペースと言った、近代建築のボキャブラリーの反復に嫌気がさしているからだ。ただ、当時のアイデアを実現できる時代がやっと到来したという見方もあるし、高層化を超える価値観やアイデアは難しいのでは、という予感がある。磯崎新が言う、高くすることに価値を見いだせない時代がはやく来ないかと待つばかりである。だいぶ脱線したが、「下町と高層ビルの間」にどんな魅力的なものがあるだろうか?ということが言いたい。民主党のようにポテンシャルは持っているかもしれないが、伝わってこないだけなのだろうか。僕の直感だが、間の存在として風景的な強度となっているものは、意外と(ニュータウンの)団地なんではないかと思ってて、修士設計のテーマに選んでいるところがある。
最近、山の手派なのか下町派なのかというキャラクタに分けて話すことが多い。僕は山の手派として楽しんでいる。下町は動けないけど、山の手は青山、白金台、麻布→世田谷、杉並、目黒→多摩NT、港北NTと移動しながら価値を探っているんだと、暴挙に走る(笑)
最後に、構造的な思考が可能な技術決定論者でもあるが、コミュニタリアンでもあるので、一応ニュートラルなんだと、キャラをごまかしつつ。社会がネットと融合するはなしに戻す。最近、ITで話題の敢えて挙げたい概念がある。web2.0だ。Web1.5さんによるとインターネットが社会的なネットワークとして動作すると言う様な意味合い。と言っている。まだまだ曖昧で、これから実現可能なアイデアによって肉付けされていくのだが、覚えておきたい。なんたって下部と上部組織との融合にはネットが重要なカギを握っているらしいからサ。

参考に、五月に総務省から発表があったブログ・SNSの現状分析及び将来予測(PDF)

blog | at September 12, 2005 4:59


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Excerpt: 巷で話題の「Web2.0」、いつかはこのテーマで書こうと思ってたんですが、 あまりに抽象的かつ、一般ユーザには「なんのこっちゃ?」という定義ばっかりなの...

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