サスティナブルが持つ視座

野沢正光さんのトークは相変わらず引き込まれるなぁ。また、来年から戻ってこられるということなので、それだけでなんだか楽しい気分になる。そういう影響力のある人間になりたいものだ。さてさて今回のトークを楽しみにしていた理由として、個人的にこれからの建築を仕掛けていくには、サスティナブルな視点は必要不可欠な要素だと思っているからだ。話題の中で、やや危なかしく出てきていた、客観的な性格を持つ工学的な視点。それを振りかざして、デザインが持つ主観的な発想を阻害してしまいかねないサスティナブルという言葉のイメージ。そんな緊張感の一方、魅力的な個人的な発想なしに工学的なメリットは魅力的に見えてこないということは絶対に言えると信じている。野沢さんが挙げていた、ボンに建つポストタワーにおけるデザイナーの地位が喪失した感覚。少し勘違いを生むのではないかと、はらはらしながら聞いていた。モダンが近代化を貫くことによって、それに対応するような思想や運動が起こった。サスティナブルな建築が目指すところ、インターナショナルに背負える共通のキーワードなんだが、コルビジェのパリボアザン計画が、正しいとも思えるような現在まかり通っている総合設計制度にうんざりする残響感は、否めない。また、モダンに対する反動を手がかりにすることも僕は違うと思う。サスティナブルなデザインは、席巻できるキーワードでありながら、地域的な影響を受けながら、解決する規模や、回答を見いだしていくという、根底に流れている理解があることに可能性を感じている。話を聞いていて思い出した小嶋さんのハノイは、サスティナブルな視点を建築にフィードバックしているというより、どこかモダン的な一刀両断したい感覚の香りがする。スライドにも出てきたヘルツォーク的な研究・開発・設計が一体となって仕事を展開する。その建築が持つヒエラルキーが、建築の界隈を広げようとする推進力になっていると思うのです。

建築 | at November 13, 2004 21:55


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Comments

日本ではサスディナブルと言う言葉がまだ一人歩きしているような気がした。サスティナブルが工学的な視点を超えるには、サスティナブルという文化、思想が定着して身体からすーっと滲み出てこないといけないのだろうと思う。(昔の日本人はそういった感覚があったのかもしれないが)海外の事例は興味があるし、僕たちの今の課題でも常に議論していかないとね。

Posted by hideo at November 16, 2004 3:51 AM